フライ返し鬱

料理をするときにいつも使用していたフライ返しが真っ二つに折れてしまった。凍らせて保管していたもやしをフライパンのなかに入れて火をかけ、かたまったもやしを解こうとそれに目一杯フライ返しを突き立てた際だった。今までも同様のことを行っており、いつも雑に扱ってきたけれどそれにずっと耐えていてくれたので信頼も厚かった。百均で購入したプラスチック製の安物で、火をかけているフライパンのへりに立てかけたりしていたものだから、ところどころが溶けてへこんでしまっている。それは真っ二つに折れる際に、激しい音とともに弾け飛んだものだから目を瞑っていた。はじめのうちは持ち手と先端部分をくっつけてみても、もっと長さがあったはずだと思い、きっと三分割されて真ん中の箇所がどこかへ行ってしまったのだと十分ほど探した。けれど見つからず、持ち手と先端部分を合わせてみると、その折れた箇所がパズルのピースをはめこんだようにきれいにはまった。僕は存在しない真ん中を探していた。百均の安物が、よくこれほど長い間もったものだ。思い返せばこのフライ返しはもう四年も使っていた。今の家に引っ越してきてすぐに買った。フライ返しが折れたことで、時間の経過に気付かされた。四年といえば、小学生が高校生になっているし、留年しなければ大学生活と同じ期間だ。この四年について、特に思い出がない。当然思い出せることはもちろんあるけれど、全体をならしてみれば、ほとんど何もないのと同じだ。中学生や高校生の三年間、大学生の四年間とは、圧倒的に密度が違う。歳をとるにつれて、体感で一年の経過するスピードがとてつもなく早くなった。単調な毎日ばかり送ってしまっているからなのだろう。きっとこれは自分の心構え次第なのだと思う。きちんとした信念を持って仕事をしていれば、その内容によって日々の実感が高まる。仕事以外でも私生活で何らかの目標を持って突き進んでいけば、充実した日々を送れるだろう。そのようなことは頭でわかっているのだけれど、どうしてもくだらない毎日を過ごしてしまう。仕事にもそれほど熱意がなく、金を稼ぐために行って、家に帰ればだらだらとYouTubeを見て一日を終える。現状は無職であるから、一日中YouTubeを見ている。もう長いこと生きてきて凝り固まったこの自堕落な精神は、どうしたら解消されるのだろう? 意志が足りない。こんなんで生きているだなんて本当に言えるのだろうか。生きているというか息してるだけなんじゃないか。ちなみにフライ返しなのだが、新しく買うのも面倒くさいので、かろうじて残った先端部分をそのまま使っている。短くなってしまったもののまだ使える。何ともみすぼらしい。