ゲームの話

エルデンリングをTSUTAYAで売却した。元々買うつもりではなかったのだけれど、グループLINEで友人同士がエルデンリングの感想を述べ合っているのを横目で見続けているうちにふつふつとプレイしたい欲求が高まってきて、買ってしまった。合計100時間ほどプレイし、ストーリーもクリアし、トロフィーボスもすべて撃破した。二週目はやる気力が湧かず、あとは自分で縛りをつけてプレイヤースキルを上げたりすることぐらいしかやることがなくなったので、売却へと至った。寝食を忘れるぐらい熱中したのだけれど、思い返してみれば最初のマップを探索していたときがいちばんおもしろかったように思う。後半に近づくにつれてマンネリを感じてしまった面はあるけれど、それは不規則な睡眠や食事によりおもしろさを感じるための器官が衰えていってしまったからなのかもしれない。もっと健康的に遊んでいたらきちんと最後まで楽しめたのではないだろうか。エルデンリングで乱れた睡眠バランスの余韻が、後遺症のように残っている。最近ではきちんと7時ごろに目覚めるのだけど、19時あたりで頭がくらくらして異常なまでの睡魔に襲われる。もしかしたら睡眠バランスの問題だけではないのかもしれない。ゲームをプレイしているときは、きっと脳内ではドーパミンが出続けていた。そのドーパミンの供給が途絶えてしまったから、反動が今になって来ているのかもしれない。なぜ人はゲームをするのか、と考えてみるが、それはおそらく日常生活では得難い達成感を容易に味わえるからなのだと思う。本来であれば日々の努力に結びついて、良い結果がもたらされる。こつこつ勉強して試験で良い点数をとる。数々の苦難を乗り越えてプロジェクトを成功させる。好きな人にアプローチをかけて、交際をスタートさせる。積み重ねがあり、結果がある。そしてその積み重ねは必ずしも良い結果になるとは限らない。当たり前の話だが、失敗してしまうこともある。むしろそのほうが多かったりもする。一度失敗したことのコンティニューは難しく、切り替えて次へ向かうしか道はない。しかしゲームであればどうだろう。同じことを何回も繰り返してゴールへと進むことができる。画面に向かい、手を動かしているだけで手強い敵を倒し達成感を得る。積み重ねはあるにしても、現実世界での積み重ねの困難さに比べれば大したことはない。非常にインスタントな達成感。もちろん中には現実世界以上の積み重ねをゲームに求めて、ストイックに努力をする人たちもいる。けれども大半は流行りのものに飛びつきころころとプレイするゲームを変えるライトユーザーだろう。別にゲームを否定したりなどしないし、僕自身もゲームは好きだけど、そのような虚無的な側面はあるのだと思っている。うまく付き合い方を考えていかないといけない。エルデンリングを売って思い返したのだけど、中学生ぐらいのときにゲオでゲームを売った記憶がある。友人と一緒に行って、売って得た金で違うゲームを購入したところまで覚えている。しかしその売ったゲームのタイトルがまったく思い出せない。人生でゲームを売ったことは数えるぐらいしかないし、おそらくその記憶のなかで売ったのがはじめてのことだった。そんな希少なことを忘れてしまうなんて。あれはいったい何という名前のゲームだったのだろうか。