僕の心にヤバイやつはもういない

桜井のりお著の『僕の心のヤバイやつ』に僕の心がめちゃくちゃかき乱されてしまった。

ジャンルはラブコメ。あらすじは下記の通り。

友人も少なくクラスのなかでも目立たない主人公。殺人とかグロ小説に興味を抱く中二病で、そんな主人公には殺したい相手がいる。モデルもやっており学校一可愛い同じクラスの女子生徒。昼休みに図書室で主人公は本を読むことを日課としていて、ある日ヒロインも図書室でお菓子を食べに来るようになる。二人は毎日昼休み一緒に過ごすこととなり、その日常の中で、主人公とヒロインは互いに興味を惹かれていく。

あらすじを見てわかる通り、王道ラブコメであり、気をてらったところなど一切ない。
なぜこうも僕の心を深く乱してしまっているのか、自分なりに分析してみた。

思春期、つまり中学生はほとんどのことを知らない。気になる異性との距離の詰め方も。女の子が自分に見せる表情の意味も。他の人が自分に抱く気持ちも。自分が抱く気持ちすらも。

中学生の頃は、その胸に宿す気持ちをどう表現して良いのかわからなかった。好きな女の子がいても、一緒にどこかに行こうと誘うこともなく、学校の休み時間や通学時、学校行事などで接する機会があるとその度に嬉しくなってしまう。得した気持ちになる。ただ話すだけで幸せな気持ちになる。

まだ説明のすることができない感情が胸の内に広がっていき、一緒にいないときでもその子のことが気になってしまったりする。その得体の知れない感情こそが思春期特有の異性を好きだと思う気持ちであり、思春期を過ごしている彼らにとってはそれは急に心の中に侵入してきた不審者のように思えてしまう。扱いきれぬそいつに振り回されることこそが、中学生の特権であり、大人になるためのイニシエーションなのではないだろうか。

大人になれば気になる異性がいると、決まってすぐに飲みに誘ったりホテルに行ったりする。行動はいつしかパターン化していき、味気のないものへと変化していく。

僕らはきっとあらゆることを経験していくうちに、いくらか器用になっていき同時に大切なものを失い続けているのかもしれない。

いつしか大人になった僕らは、もう二度と中学生の時のような感情を抱くことができない。知識もついて、あらゆることを客観的に見て理解できるようになってしまった。これから先、未知の感情に出会う機会というのは限りなくゼロに近い。もしかしたらもうないのかも知れない。

『僕の心のヤバイやつ』というのは、ヒロインの山田ではなく、心のうちに湧いた未知の感情のことを指しているのだと僕は思う。

この漫画は思春期の無知が丁寧に描かれており、僕らはもう二度と戻ることのできないその時期にある種の郷愁を抱かざるを得ないのだ。

僕の心の中にヤバイやつはもういない。それがひどく悲しくなる。