Suicide in Scotland

てきとうに書いていきます

夜の水晶

 スコットランドの小説を読んでいたので、昨日の仕事終わりにコンビニエンスストアカティサークとカルパスを買った。カルパスをかじりながらカティサークを三分の二ほど飲むと、気がつかない内に寝ていた。目が覚めると脳細胞の九十パーセントが死滅してしまったのではないかと思われるぐらい頭が痛く、さらには不安定な体勢で眠ってしまっていたらしく背中にも張るような痛みがあった。鎮痛剤を嚥下して湿布も貼ったが、そんな程度ではすぐによくなるわけもなく、一日床に伏せていた。
 本当は今日は映画を見に行く予定だった。前々から楽しみにしていた映画が昨日公開日だったので、先週の仕事中はいつも映画のことばかりを考えていた。しかし体や頭が痛い、腹の調子も悪いというバッドコンデションで映画を真っ正面から受け止めることは到底できないということは安易に予想され、最大限にその映画を楽しむためには心身のバランスが良いときを見計らって行くしかない。つまり、今日ではなかったということだ。
 しかし、僕にはこんなことが頻繁にある。平日はいつも休日の予定を頭のなかで練り上げて、休日の前日になると休日を楽しむための完璧なスケジュールが頭のなかでは仕上がっているというのに、いざ休日を迎えると昼過ぎまで寝て、目が覚めてからもだらだらと生産性の皆無な行動をとってしまう。平日のあいだに蓄積されて見て見ぬふりをしていた疲れやストレスが一息に襲ってきていたのだろうか。せっかくの休日だというのにこれではもったいない、というよりもどうして自分は生きているのだろう、という気にさえなってくる。
 毎日二十二時頃に帰宅して、飯を食らって寝る。朝も早く起きて、地下鉄に揺られて機械のようにどうでもいい仕事をする。他の人から見たら僕はおそらくただの歯車としか見えていないのではないか。地下鉄に乗る歯車。飯を食う歯車。睡眠をとる歯車。
 平日ですらこの調子で、休日も何もできないとなるといよいよ生きている意味というのがわからなくなる。子供のころの僕はまさか自分がこんな空っぽの存在になってしまうだなんて思っていなかった。サラリーマンだとしても、ドラマで見るようなスタイリッシュで華やかな働き方をしていると、勝手に想像していた。昔の僕に言いたい。それは誰かが作り出したイデア的な仕事風景だ。まやかしだ。実際の仕事は地味でそのくせ責任だけ大きくて、しかも長い目で見ると無駄でしかないものばかりだ。僕がひたすら頑張って業務をこなしたとしても、会社に爪垢ほどの利益が出るだけだ。おそらくは僕がしたことも数年経てば忘れられてしまうだろう。僕だけじゃない。ただ社会は金をぐるぐると回しているだけで、端から見たらほとんどのものに意味なんてないのだろう。
 僕は貴重な時間を無駄にしている気がしてたまらなく怖い。この先何の意味も持たないまま生きて死んでいくのだろう、と考えるとどうしようもなく恐ろしくなる。漫画やアニメみたいに、お姫様を救うとか親の敵をとるなどの明確な目的は、この世界では与えられない。だから人生の意味なんてものは自分で探して、それを盲信するしかないのだろう。そもそも意味なんて考えないで何となくで生きている人がどうも多いように思えるけれども、その人たちと違って僕は器用ではないから、どうでもいいことばかり考えて苦しんでしまう。
 時間は有限だ。体もすぐに衰える。人間が好きに生きられる時間は限られている。その限られた時間のなかで、どう自分らしく生きていくかを模索しなければいけない。夜の海に落とした水晶を探すみたいに。