20180722

 4月に新居に引っ越して、ソファとテーブルと布団しかない部屋ではあるけれども、大分快適に過ごしている。同じフロアには他にもひとが住んでいるはずなのだけれども、その姿を一度も見たことがなく、さらに言えば生活音もまったく聞こえない。防音設備がしっかりしているマンションではないはずだから、彼らはきっと電気もテレビもつけない部屋の片隅でじっと体を縮こまらせているに違いない。
 ここまで書くと、他人の気配をまったく感じない生活を送っていると思わせてしまうかもしれないが、実はそうでもない。
 それは隣のマンションの住人だ。僕の住むマンションと隣のそれとの距離はおよそ一メートルぐらいしかない。なので僕の部屋の窓の向こうには、隣のマンションの一室の窓があり、その部屋に電気が付いたりすると、そのひとの生活を否が応でも感じ取ってしまうのだ。さらに言えば、その部屋にはカーテンが取り付けられていない。僕の部屋にもカーテンは付いていない。なのでお互いが窓を開けてしまったら、お互いの部屋が丸見えになってしまうのだ。
 その部屋に住む人物は、夜になるといつも窓を全開にするようで、僕が自室の窓を開けると、向こうの部屋の様子を視認できてしまう。ちらっと、視界に入ってくるのは、物が散乱した部屋で白い猫が歩いている光景だった。
 一度だけそのひとの顔を見てしまったときがある。フロアソファに座ってスマートフォンを操作していた。茶色い髪の毛の女性であった。その光景がちらっと視界に入ってきたけれども、その顔の全貌を確認する前に僕はすぐに顔を背けて窓から後ずさってしまった。「深淵を覗く時深淵もまたあなたを覗いている」とはニーチェの有名な言葉だ。ニーチェはこのような状況のことを言っていたに違いない。僕が彼女の顔を見られるということは彼女もまた僕を見られる状況にあったということなのだ。

 つい先日、外出しようと開いていた窓を閉めようと向かうと、ジジジと音が聞こえた。その音を聞くだけで僕は全身に寒気が走ってしまう。虫がその羽を震わせている音だ。どうやら僕の部屋のなか、窓付近にいるらしい。前方を見ると向こうの部屋はいつものように窓が開けられていたのだけれども、そのようなことを気にしている余裕がなかった。だから僕は自分の部屋の窓を開けたまま、数分間虫と決死のかくれんぼ。朝から激しい運動をして何とか見つけてティッシュでやさしく包み込むことができたのだが、そのときすでに、向こうの窓は閉められていた。
 僕が虫と戯れているあいだに、閉めていたのだろうが、彼女の目に一体僕はどう映っただろうか。きっと虫の姿は見ていない。だからきっと彼女は、僕が窓の近くで彼女の部屋に向かって手を高速で動かす奇妙なダンスをしているように見えていたに違いない。さぞ不気味に思ってしまったことだろう。僕の心のうちに羞恥の感情がぶわっと広がってきて、逃げるように部屋から飛び出してしまった。

 こんな感じで僕は世界の隅っこのほうで元気にやってます。今月の頭には友人と一緒に文学フリマ札幌で小説を出品したりもしました。次は新人賞を狙うような気合いの入った小説を書きたいと思いますが、こう気晴らしでもないですけど、サイトのほうも更新していけたらいいなと思います。