MacBook Airを購入したという自慢話

  MacBook Airを購入した。

 16万円という決して安くはない金額で、思い返してみれば人生で購入したもののなかで一番高価なものだということに気がついた。しかしもう良い年齢で、友人は続々と結婚したりしているというのに、人生で一番高価な買い物が16万円ってどうなの? しょうもない人生だななんて思ったりもする。車も持ってないし、ブランドものの服やら財布やらも買っていない。味気のない人生だなと思う。

 それはそれとして、MacBook Airを購入したはいいが、実はmacOSを使ったことがない。iPadとかiPhoneは持っていたりはしたのだが、PCは初めてである。ずっとmacOSに、根拠のない憧れを抱いていて、コーヒーショップでドヤ顔でMacBookを使っている人のことを羨ましげに見ていた。僕もいつかこういうMacBookドヤ顔野郎になりたいなと思っていたところ、MacBook Airの新型が他のMacBookに比べてお買い得になっていたので、購入に至った。配送まで約1ヶ月近くかかり、いざ受け取ったはいいものの、昨今の新型コロナウイルスの影響で、いまだ僕はMacBookドヤ顔野郎にはなれてはいない。

 最近、iPadで文章を書く時はScrivenerというアプリケーションを使っている。Dropboxで同期ができて、PCでも同じデータで編集できるのだけれども、WindowsのScrivenerはいつまで経っても古いバージョンのままで一向にアップデートをする素振りを見せない。macOSだと最新バージョンのScrivenerが使用できるので、その点もMacBookを購入する動機の一つだった。前まではEvernoteを使用してテキストを書いていたりしたのだけれども、Evernoteは所詮はメモアプリなので、テキストをある範囲でまとめたり、そのなかで順序を指定したりすることができなかったので不便であった。なので今はScrivenerというアプリケーションを使っているのだけれども、有料のソフトなのに買ってからも僕は一向にブログも書かないし小説も書かないというクソみたいな状況に陥っている。執筆ソフトやらの環境ばかり気を使い、一向に中身を埋めようとしない本末転倒。僕みたいなやつのことを似非ワナビというのだろうな。これから先、僕のことはMacBookドヤ顔似非ワナビ野郎とでも呼んでくれれば幸いだ。

 ちなみにこのブログは、macOSのライブ変換という機能を用いて書いている。どういう機能かというと、いちいち文字を変換しなくても、テキスト入力をしているとそれが自動的に漢字に変換されていくというものだ。気に食わない変換は自分でお好みのものに変換すると、次からはその変換が維持されるという仕様になっているらしく、使えば使うほど、変換の癖が自分のものと合致していくのだろう。変換を自動的に行うということは時短に繋がる。時短というものは素晴らしい。最近では食事を買ったり、作ったり、食べに行ったりするということが非常に無駄な時間であるのではないかと考え始めて、プロテインを購入して、飯も食わずにずっとそれを飲んで生活している。本当はCOMPのような完全食が望ましいのだろうけれども、安月給の僕には到底買えない。安いプロテインを飲み続けて僕は生活している。時短。それに食費が浮く。MacBook Airに高い金を支払ってしまったから、ちょうど良い。プロテイン生活にはメリットもある。それは久しぶりに普通の食事をすると感動するということだ。前まではただ惰性に飯を食らっていたが、その時と同じものを今食べると、ああ食事って素晴らしいなと食事の喜びが倍増するのだ。ああ肉って美味いんだな。野菜って美味いんだなと泣けてくる。普通の食事を一回でもするとプロテイン生活に戻ってこれなくなる可能性があるぐらい感動する。ただそこは克己の意思を持って、プロテインを飲み続けるということを選択する。食いたいならもう普通に飯食べればいいじゃん、という感じもあるけれども男たるもの一度決めたことを曲げてはいけない。僕はプロテインを飲み続ける。プロテインを飲む前に、ブログなり小説なりを書けばいいのに、僕はひたすら毎日プロテインを飲み続ける。僕は人生の目的として素晴らしい文章を書くということを第一に考えているけれども、文章を書かず一心にプロテインを飲み続けている、というのが昨今の僕の状況で、これからは僕のことは MacBookドヤ顔似非ワナビプロテイン馬鹿とでも呼んでくれたら幸いです。