Suicide in Scotland

てきとうに書いていきます

僕は大学なんて行く意味がないと思ってる

 ロングスリーパーの僕は一日十二時間は寝ないと日中、ろくなパフォーマンスを見せることができない。昨日は五時間しか寝られなくて、ずっと頭はぼんやりとしてるしテンションなんて全くあがらないし、そもそも何も感じることのできない無の状態にあった。

 五時間睡眠なんて多くの人にとっては大したことではないだろう。一二時間しか寝ることのできない人だっているはずだ。けれども僕の脳や体は五時間では足りないとしきりに主張する。

 睡眠以外にも人にはそれぞれのキャパシティが存在する。笑いの沸点なんかもそうだし、キレるタイミングも人によって異なる。身体的にも人は他人と差異を抱えていて、生活している環境によってその差異はさらに大きく広げられる。

 真の平等とはこの差異を理解したうえで構成されていくべきなのではないだろうか。全員が同一の存在とみなして無責任に物事を振り分けるのではなく、それぞれに適した環境を提供し、それぞれに向いていることをさせる。適材適所というやつだ。僕はこの言葉が好きである。

 今の世の中、本当にその人にしかできない仕事をしている人間なんてごくわずかしかいない。わざわざ奨学金を借りて大学に行ったのに、卒業したあとは誰にでもできる仕事に就いて、人生の歯車と化してしまうのは少し悲しい。

 

 そういえばこの頃、奨学金についての話をよく耳にする。奨学金とは名ばかりの学生ローンの話だ。この学生ローンで金を借りて大学に通った人が卒業後に「金を返したくない、返すというのはおかしいのではないか?」とおかしなことを言う人たちがいる。厚顔無恥も甚だしい。借りた金は返すのが当たり前だ。事前に返却しなければいけないと告げられているのに、いざ返す時期がくると駄々をこねるなんて一体なにをしに大学に行ったのか。

 しかし、今の世の中は大学に進学してそこから良い企業に就職する、ということが正しいレールとして見なされている。家が裕福でないものは奨学金を借りて大学に進学しなければいけない。卒業するころには年齢に見合わないほどの借金を抱えている。そのような格差には疑問は確かにある。

 

 奨学金というのは中々よくできたシステムである。若者に借金を背負わせることにより働かなければいけないという状況を作り上げ、若者たちをいとも簡単に社会の歯車、労働するロボット、経済に貢献する操り人形へと変貌させてしまう。そんな人間になるために就職予備校と化した大学に行くことは本当に大切なことなのだろうか。何かを真剣に学びたい人だけが大学に行くべきだ。