Suicide in Scotland

てきとうに書いていきます

世界と脳のお話

 子供のころから時折、何故僕はこの世の中に存在しているのだろうと考えることがあった。何故僕は他の誰でもなく僕なのであって、この世の中はどうして存在するのだろう。そう考えると頭がぼうとしてきて、僕が僕から離れていく感覚に陥り、その不思議な状態がどことなく好きだった。

 何故この世界は存在して、何のために生きていかなければならないのか。もしかしたらこの世界はすべて脳がつくりだした幻であって、あるときふと自分は水槽のなかで浮かんでいる脳なのだと自覚するときがあるかもしれない。この世の中はそんな脳が自己保身のために自分自身に見せた幻、魔法である。ただそれだけなのかもしれない。

 全面的に世界を信用するなんてことは到底できそうにないが、それでも僕らはその疑わざるを得ない世界のなかで必死に生きていかなければならない。世界や自分の存在をいくら疑っても答えなんて出るはずもない。そんな無駄なことのために一秒一秒を無駄にして生きていってはいけないはずだ。

 ただ、明確な答えではなく取り繕った結論なら思いつく。この世界にも自分にも意味などないのではないか? すべてを知覚し記憶するのは頭蓋骨のなかに詰まっている小さな脳である。その脳が活動をやめたときに世界も自分も、認識することはできなくなり、それはその脳の所有者にとっては万物の崩壊をあらわすことになる。すべては無へと帰る。死ぬことはすべて存在しなくなるということだ。生きていたときに期待していたことも不安だったこともすべては等しく0になる。どんな優秀な人生を歩んでも、死ねば0になる。もしかしたら死ぬということは、この世界のなかで唯一平等なことなのかもしれない。誰だって死ねば価値がなくなる。最終的にすべての人に0が掛けられる。魂の抜け落ちた身体に価値などはない。死はただ一つの救済なのだ。スタートラインも走る速さも誰でも同じではないけれども、最終的にたどりつく場所は同じなのだ。大手企業の役員も、フリーターもその人生の内では様々なことを考え、体験するけれども結局待っているのは死ぬことだけである。結果的に見れば、人生に優劣など存在しない。それを測る物差しも存在しない。最終地点は誰でも同じだ。人類は皆、平等に同じところにたどり着くことができる。

 そう考えて生きていけば、色々とラクに世の中を見ることができるだろう。深く考えたって、どうせすべての物に意味なんて無いのだからね。