いとこがいたような気がする

 父親が実家と仲が悪い。
 だから僕は気がつけば長い間、父方の祖母とは顔を会わせてはいない。もちろん、叔母だとかいとこにも会うことはできない。
 父方の祖父は僕がまだ物心がつくかつかないかぐらいの幼いころによく遊びに連れて行ってもらった記憶がおぼろげにあるけれども、彼は僕が小学生のときに用水路に頭を突っ込んで亡くなってしまっている。
 だから僕は自分のいとこのことをよく知らない。確か父方の血縁にいとこがふたりいるはずだ。どちらも女の子で、年はよく覚えていないが、ひとりは僕よりもほんの少し年下で、もうひとりは十歳ぐらい下だったように思う。連絡を取る手段も当然なく、僕は彼女らがいまいったいどんな成長をしているのかということを知るよしもない。
 ある日、陽射しが鋭かった昼下がりに僕はふとそのいとこの名前を思い出して、単純な思いつきでインターネットで検索してみようと思った。SNSで言えば、Facebookなんかでは実名で登録するものだろうし、もしFacebookに登録していなくても、何か部活動をやっていて何らかの記録を残しているのならば、そのかすかな痕跡を確かめることができる。あまりに会わなすぎて実は僕が幼少期に作り出したイマジナリーフレンドの可能性もあるな、なんて疑念もあったので何かの情報にヒットしたらその疑いも晴れてくれるだろう。自分の血縁の人間なのにインターネットでしか生存確認をできないだなんて、悲しい話だ。
 まず少し年下の女の子のいとこを検索してみた。Facebookの検索窓に名前を打ち込んで、エンターキーを押してみても、それらしいひとは見つからない。次にGoogleで同じことをしてみても、見つからない。これは本当にイマジナリーフレンド説あるな。
 なかば諦めがかった心持ちで、次に十歳ぐらい下のいとこの名前をFacebookで検索してみると、ひとりの女の子がヒットした。これははたして僕のいとこなのか? プロフィールを読んでみると住んでいる地域が父親の実家があるところと同一で、そこに掲載されている顔写真は祖母によく似ていた。どうやら高校生になっているらしい。正確な年齢を覚えていなかったから、彼女がいつのまにか高校生になっているということに少し驚いた。
 ぱらぱらと投稿を見てみる。何かの楽器を習っているようで、コンサートの写真が掲載されていた。元気そうにやっているみたいだ。最後にこの子の話を聞いたときは、この子が小学生ぐらいのときに停車中の車に木の枝で傷を付けて回っているというようなろくでもない内容だったので、少し心配だったのだけれども普通の女の子に成長していて、なぜか感動してしまった。
 何かこの子のためにしてやりたいと思った。かわいらしい洋服のひとつでも買ってあげたい。おいしいご飯でもごちそうしてやりたい。どこか楽しいところに連れて行ってあげたい。思いつきで調べただけなのに、急に父性のようなものに目覚めてしまったらしい。
 でもいまさら僕がそんなことを彼女にできるわけがない。そもそも僕のことを覚えているかすら定かではない。年上のはずの僕がこの子のことをよく覚えていないのだ。
 今日もこの世界のどこかで僕のいとこは元気に生きている、そう思えただけでよかったのだと自分に言い聞かせた。ひとりはイマジナリーフレンドだったけれども。