眠るきみ

 「どこにいますか?」
 電話で僕はウズメさんに尋ねる。電話の向こうからは要領を得ない返答があるばかりで、一向に彼女を探す手がかりを掴めずにいた。
 大型ショッピングモールのレストラン街で、平日の昼間だというのに人は多かった。年配の夫婦に、高校生のカップル、昼休み中のサラリーマンの集団。全員が世俗から解放されたような表情をしている。食事というのは忙しない日々のなかで、唯一安らぐことのできる時間なのだろう。
 僕は電話でウズメさんに場所を確認しつつ、辺りを見回してみた。しかし、ウズメさんらしき人は見当たらない。
 ウズメさんを見つけるために重要なもののひとつを、僕は持ちあわせていなかった。それは顔だ。僕は彼女の顔を知らない。
 数年前にメンバーがひとり、ツアー中に失踪をして解散してしまったロックバンドがいた。CDも三枚程度しか出しておらず、それほどメジャーなバンドとは言いがたかったけれども、僕はこのロックバンドが今でも好きで、毎日聴いているほどだ。彼らの奏でる激しいけれどもどこか悲しさを内在する楽曲と、西洋絵画のような詩には心を動かされる。自分ひとりで完結していても十分だったけれども、ある日、SNSで僕が好きなバンドが好きだという女の子、ウズメさんと知り合いになった。
 僕らは毎日のようにSNS上で語り合った。驚くことに、音楽以外でも同じ作家が好きだったり、映画の趣味も似ていたりと精神の波長が似ているような心地がした。
 ウズメさんのSNS上でのアイコンは、彼女であろう人物の横顔の写真だった。ウェーブがかった黒い髪で目や鼻、口はおぼろげに隠されていた。その曖昧な顔から僕は少女のイメージを得た。漠然と目や鼻や口を想像して、頭のなかで組み立てていき、いままでのメッセージのやりとりでの彼女の文章の雰囲気も交えつつ、ひとりの女性の姿をつくりだした。
 それからウズメさんとメッセージを交わす際は、僕の頭の隅にはずっとその妄想のウズメさんがいた。おどけた文体だったら、妄想のウズメさんが笑っているところを想像した。少し棘が感じられる文面だったら、目をきっとして僕を睨んでいる妄想のウズメさんを想像した。
 そんなやり取りをしていると、自然な流れで一緒に食事に行くことになった。
 そんなわけで待ち合わせをしているのだけれども、ウズメさんの姿が見当たらない。僕が電話で話しながら探しているのだから、ウズメさんも電話しながら辺りを見回しているのだろうと思っていたのだけれども、周囲にいるひとは友人同士で笑い合っていたり、スマートフォンをにらみつけていたり、ベンチに座って目を閉じていたりする。
 ふと、肩を叩かれた。
 振り返るとそこにはひとりの女性がいた。
「ウズメさんですか?」
 ウズメさんは少し恥ずかしげに答える。
「はい、ウズメです。ごめんなさい。色々探してもらってしまいまして・・・・・・」
「無事に会えてよかったです。このまま会えないんじゃないかなって思ってました」
 ウズメさんはその言葉を聞いて「それはないよー」っと楽しそうに笑い始めた。

 僕とウズメさんは、約束していた通りに、スープカレー屋に入った。何でもウズメさんは辛いのが好きなのだと言う。僕も嫌いではなかったので、良い選択のように思えた。
 メニューを開くと、スープカレーと一口で言っても中々種類があるようで、頭を悩ませる。
「いっそひとつしかなかったら考えなくてもいいのにね」
 ウズメさんはメニューをパラパラとめくりながら愚痴っていた。
 ウズメさんは「野菜が好きだから」と野菜の多く入ったものを注文していた。辛さも選べるらしく、辛いのが好きと豪語することだけあって、辛めのレベルを頼んでいた。僕はスープカレーなんてどれも同じに見えたので、とりあえず人気ナンバーワンのチキンレッグがどんと入ったスープカレーを注文し、辛さは抑えめにしておいた。
「辛いものを食べるとさ、生きてるって感じがするよね」
 料理が運ばれてくるのを待っていると、不意にウズメさんがそのようなことを言った。
「痛みがそう感じさせるってこと?」
「痛み?」
「辛さって痛覚で感じるらしいから」
「じゃあ辛党ってみんな自傷癖があるのと変わらないね」
 ウズメさんはくすくすと笑う。
 料理が提供されると、ウズメさんの辛いもの好きというのは何だったのか、額に汗を流しながら一生懸命食べて、スープはもう限界だからと残してしまった。という僕も、想像以上の辛さに圧倒されて、さらには鳥の脚の上手な食べ方がわからなかったので、食後の皿が汚くなってしまった。「最低な客二名だね」とウズメさんは笑っていた。
 辛いものを食べると、涼しいものが食べたくなるというのが人間の性で、僕らは特に決めていなかったが、同じ施設のなかにあるアイスクリーム屋に向かった。
「口のなかは辛いけど、なんだか水をたくさん飲み過ぎて寒くなってきちゃった」
 ウズメさんは体を縮こまらせる動作を取っていた。
「いまからアイスクリーム食べるんだけど大丈夫?」
「でも寒いとアイスは別の問題だから」
 よく理解できなかったが、本人が言うならそうなのだろうと思い、僕は「そっか」と一言だけ返した。
 アイスクリーム屋は、海外から出店してきた店らしく、日本にはないパフォーマンスがあって驚いた。アイスを購入すると店員が歌い出すのだ。きれいな声で楽しげに歌っている姿を見て、僕は少なくともこの店では働けないな、と思った。ウズメさんは何度かこの店に来ているらしく、「ほら楽しいでしょ」と得意げに目線を僕に向けてきた。
 アイスクリームを食べ終わると、ウズメさんはこれから用事があるのだといい、別れた。
 日の暮れた帰り道を歩いているあいだ、僕はずっとウズメさんの顔について考えていた。決して不細工ではない。むしろきれいなほうだとは思う。けれども、どうしても違和感がぬぐいきれなかった。
 それは、ウズメさんの顔が僕の想像していた彼女の顔とはまったく違っていたからだ。複雑な心境だった。いままでメッセージのやりとりをしていたのも、当然、今日一緒に食事をしたウズメさんだったのだろう。しかし僕はずっと、別の人とメッセージを交換していた気がしてたまらないのだ。今日会ったあの人がウズメさんだったら、僕が今まで想像で作り上げたあの人は誰だったのだろうか。
 おそらくこの世界中を隈なく探してみても、僕の想像のなかにいた女性は見つからないのだろう。はじめから存在なんてしていなかったんだ。そう思うと、胸がしめつけられるように切なくなった。